2018年09月6日

雑記

音の風景

うちは神奈川の中でもいわゆる「里山」と呼ばれる山にとても近い場所に住んでいるので、夏になると草刈機の音があちらこちらから聞こえてくる。

なので、この場所に家を買い移住してきたばかりのころはよく近所の人から「ここは周りが畑だから(草刈機の)音がうるさいでしょう」と言われたものだ。実際に、近くで草刈りしていると結構大きな音がしてうるさいのだが、「僕はそういう音は慣れているので全然気にならないですよ」というと、東京出身の僕はちょっと不思議な顔をされる。それは決して嘘ではなくて、草刈機の音を聞いていると僕はどこか懐かしい感じがして安心感すら覚えるのだ。けれども誰からみても根っからのシティボーイであるはずの僕にとって草刈機の音が懐かしいはずは無い。それでもなぜ懐かしさを感じるのかというと、草刈機の音が僕の記憶の中で染み付いているある音と似ているからだ。

僕は東京の中でもいわゆる下町と呼ばれる地域で生まれ育った。かつて僕が住んでいた家の周りには、小さな印刷所や金属の加工工場、洋服のクリーニング場などいろんな工場(こうば)があって、僕のうち自身も祖父が工務店を営んでいて自宅の1階に工場を持っていた。そういう工場にある色んな種類の機械がごうんごうんと大きな音をさせながら毎日朝から晩まで動いていて、なかでも金属を切削加工する機械からはキィィィンという甲高い金属音がひときわ大きく響いてきた。家にいても学校にいても放課後に路地や空き地で遊んでいてもどこでもいつでもその音は聞こえてきた。それはもう生活の中でごく当たり前の音だったので、それに文句を言うような人は誰もいなかった。将来もしも僕が音楽家になってもここでは仕事できないな、と幼心に思ったことを覚えている。夏になり甲高いうなりをあげる草刈機の音を聞くと、その工場の音の記憶が子供の頃の思い出と共に蘇ってくるのだ。

いまから数年前に、いよいよ老朽化した生家を取り壊して土地も売ってしまうというので、もう行くことも無くなるだろうからと最後の思い出と家の中の整理を兼ねて今は横浜に離れて住む両親とともに故郷の下町に帰ってきた。当たり前だけれども東京で生まれ育った人間にとっては、東京が故郷なのだ。父の転勤で離れてから約20年振りの故郷の国道沿いには新しい大きなマンションがたくさん建ち、一歩路地に入った我が家のまわりも建て替えなどでだいぶ様変わりしていた。小さい頃に十円玉を握りしめて友達と毎日通った駄菓子屋ももうだいぶ前に無くなって、いまは普通の家が建っている。向かいの小さなスーパーも潰れて空き店舗になっている。近所の牛乳屋も畳屋も看板こそ残っていたが、店の明かりはなくもうずっと営業はしていない様子だった。かつては路地に響いていた工場の音ももう1軒も聞こえてこない。狭い路地裏にはまだ下町の面影がかろうじて残っていたけれど、そこはもうすっかりどこにでもあるような「閑静な住宅街です」と一言で表されてしまうような町に変わっていた。

一通り家の中の整理が終わり路地を眺めながら感慨にふけっていると、僕の目の前を子供を電気自転車に乗せた同い年くらいの見知らぬ母親が風のように走り抜けていった。僕が育ったあの頃の風景はもう記憶の中にしか無くなってしまったのだ。大好きだった祖母や祖父との思い出が詰まった家が取り壊されてなくなってしまうことも悲しかったけれども、そのこともとても寂しかったことを覚えている。

ようやく朝の風が涼しくなってきたので窓を開け、夏の終わりのおセンチな気分で草刈機の音を聞いていると、そんなことを思い出す。今年の夏はとても暑かった。

Mount

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Mount

神奈川県西部在住。家族4人とボストンテリア1匹暮らし。フリーランスで働いて、かれこれ10年以上になります。週末は気が向けば庭いじりや簡単なDIYなどしています。